私が高校に入ってからしばらくして、父が勤めていた会社からリストラにあいました。

もともと高給取りでもなかったので、我が家の生活は常日頃から質素なものでしたが、勤続20年の父がまさかのリストラ。

これをきっかけに、母の究極の節約術が始まりました。我が家は父と母と、高校生の私、中学生で育ち盛りの弟の4人家族でしたが、もう弟はかわいそうでしかたなかったですね。

男の子で運動部に入っていたので、夜ご飯はがっつりと食べたかっただろうに、白ご飯が一杯と、キュウリだけのサラダ。

肉類は一週間に一回、良くて二回、それもハムとかウィンナーとかです。弟は昼の給食でおかわりをたっぷりしてしのいでいました。

わたしの高校はお弁当持参か購買部でパンなどを買うかだったのですが、もちろんパンなど買うお金はもらえず、毎日お弁当。

しかも白ご飯とふりかけと卵焼きだけなど、かなり質素なもの。友達と一緒に昼ごはんをするのが恥ずかしかったです。

わたしはそれまでは高校にバスで通っていたのですが、定期代を買うお金がもったいないという母の指令で、自転車通学に。

高台にある高校に坂道を30分かけて登り必死の形相で通いました。夏場は学校に行くまでは制服ではなく体操服で上り、学校について汗がひいてから制服に着替えていました。

シャワーはもったいないからと湯船に半分ぐらいお湯をはり、それを4人で使いきる感じでお風呂に入っていました。

持ち家ではなく賃貸住宅に住んでいたので、母のパートの稼ぎもほぼ全て賃貸料に消え、衣食住の衣食の部分の究極の節約生活。

高校2年の冬までこの生活が続きましたが、幸い父の再就職先が決まってからは、とりあえずバス通学はOKの母のお許しが出ました。

それでも再就職してからしばらくは、まだまだ家のお金は不足していたようで、わたしは大学進学も諦めなければいけないのかと夜な夜な考えていました。

が、どうやら母は私たち2人の子供がちゃんと大学まで行けるようにと究極の節約をしていたようで、幸い県内の大学に通わせてもらうことができました。

大学在学中は自宅からの通いでしたが、バイトをしながら生活費を親に渡し、奨学金で大学の学費を払いました。

徐々に生活に余裕がでてきてキュウリだけのサラダが彩りあるサラダになり、となりにトンカツが並んだときは嬉しかったですね。